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八森本館城一揆後の話(はちもりもとだてじょういっきごのはなし)

詳細情報

番号 5031 種別 伝説

  大分類 中分類 小分類 番号
日本伝説名彙 坂・峠・山の部 屋敷・城跡(屋・田・村・森・畑・原) - -
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AT分類 -

執筆者名 - 編者名 峰浜村教育委員会
書名・誌名 峰浜村の文化財
書名(全集名等) - 巻・号 -
発行所 峰浜村教育委員会
発行年月日 昭和55年8月20日 発行年(西暦) 1980年
所蔵先 秋田県立図書館
開始頁 3 終了頁 4
文体 方言
冒頭文 本館城を攻め落した百姓一揆の主謀者の一人である畑谷の〝須原兵助〟は後藤家一族の頭でもあった。
結末文 竹生の勘解由左衛門の墓は竹生の墓地より近年にはいってから菅原神社に移して部落民に祀られているとのことである。

あらすじ 本館城を攻め落とした百姓一揆の主謀者の一人、畑谷の須原兵助は、後藤家一族の頭でもあった。佐竹藩が役人を差し向け、畑谷の後藤家でも匿まったが。捕えられた。兵助は集落民と鏡餅を食べて別れを惜しみ、唐丸かごに乗せられて秋田市の八橋地区で死刑となり晒首となった。今一人の主謀者の竹生の永井氏( ? ) 岡部氏( ? )苗字ははっきりしないが“鬼”。勘解由左衛門といわれ、豪の者だった。畑谷の兵助が捕えられたと聞き、樫の棒をかかえて助けようと目倉鼻まで行ったが、方向がかわからず家に帰った。藩の方でも役人を差し向けた。勘解由左衞門はもと奈良、京都の落人で竹生の菅原神社の御神体を持参して祀った人で、役人達も相撲大会を開催して勘解由の堤の近くの相撲大会で裸になったところをとりおさえた。兵助と同様死刑となり、晒首になったといわれる。
追記 -
その他 -

地域(原文に書かれている地域名) -
地域(現地名) 八峰町峰浜
史跡等 -

音声データ - 音声収録年月日 - 音声収録年(西暦) -
話者名 - 話者情報 -

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