第二章 鹿角開拓の政治状況(かづのかいたくのせいじじょうきょう)
詳細情報
番号 | 6957 | 種別 | 伝説 |
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大分類 | 中分類 | 小分類 | 番号 | |
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日本伝説名彙 | 坂・峠・山の部 | 屋敷・城跡(屋・田・村・森・畑・原) | - | - |
日本伝説大系 | - | - | - | - |
日本昔話名彙 | - | - | - | - |
日本昔話大成 | - | - | - | - |
日本昔話通観 | - | - | - | - |
世間話 | - | - | - | - |
AT分類 | - |
執筆者名 | - | 編者名 | 曲田慶吾 |
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書名・誌名 | 伝説乃鹿角 | ||
書名(全集名等) | - | 巻・号 | - |
発行所 | 鹿角郡教育会 ((株)明治文献より再版) | ||
発行年月日 | 昭和50年6月10日 (昭和50年6月10日再版) | 発行年(西暦) | 1931年 (1975年) |
所蔵先 | 秋田県立図書館 | ||
開始頁 | 50 | 終了頁 | 53 |
文体 | 通行体 | ||
冒頭文 | 鹿角の地は随分古い昔から、中央の為政者によつて、知られ其の開拓の歩を進められたものである。 | ||
結末文 | 此の豊丘里と云ふのは毛馬内町を中心に、錦木村、七瀧村の方面一帯を、指すものの様である。 |
あらすじ | 今よりおよそ千八百余年前、成務天皇の御代大己貴命の26代裔狹名太夫が派遣された所から始まる。当時鹿角の池内は黎民互いに干戈を動かし、民人の生活が甚だ安定を欠いた。政府は対策として郡司を置き、その正邪を正しことに力を入れた。狹名太夫先づ当国に吏長置き、町政を定め境界を定め、土地の区割りを明定し、堤構を開かしめて国民生活安定のため大いに社会政策を実行した。成務天皇大いにその勲功を褒美し、土地の名を狹名の一字狹を賜ひて狹郡と称号した。 |
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追記 | 第五のみ章立てがなかった |
その他 | 第五 花輪町恩徳寺彌陀三尊の由来 |
地域(原文に書かれている地域名) | 鹿角 |
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地域(現地名) | 鹿角市 |
史跡等 | - |
音声データ | - | 音声収録年月日 | - | 音声収録年(西暦) | - |
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話者名 | - | 話者情報 | - |
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